2世代目のApple Watchの予測記事も増えてきている頃で、「売れる」「売れない」「使える」「使えない」の賛否両論がまた活発になってきています。
私の身の回りではApple Watchを使っている人は非常に少なく、いまだにささやかな歓声を受け照れているところです。
それが「良かったこと」に入るかどうかは微妙ですが、使い始めて約8ヶ月、改めてApple Watchを使うことを考えてみました。
カメラの操作。が意外と便利
出かけたり、人が集まった時にみんなで集合写真撮ろうよ、なんて時に「あ、そういえばApple Watchのリモコンから撮影できるよ」ということが折に触れてあります。
その場で写り方を写る側で確認できるので、もうちょっと右に寄ってとか前に出て、みたいなことも容易です。
自撮り棒は重さゆえにブルブルして意外と手ブレした写真になってしまうことが多いし、セルフタイマーはセットして走ってきてがあるので、その場でできるという点のメリットを感じます。
天気を見る。今を知る。が意外と便利
特にこの冬の季節、ちょっとした温度差でも羽織るジャケットをたとえ沖縄とはいえ考えるもの。
さて出かけよう、という時に「あれ、この後どうだろう」というのを手首を持ち上げるだけで確認できるのは意外と便利です。
iPhoneでもできるじゃあないの、というのは事実ですが、毎日毎日、繰り返す動作であるほど、違いが出てきます。
ポケットやどこかからiPhoneを出して、ホームボタンを手探りで探して押して、という所作との差は小さく見えるかもですが、その作業がより動作少なく無意識にできるようになることの便利さは、日常の中のこととなると大きいと感じます。
iPhoneでは時間を見るにとどまらずニュースや他のアプリに意識を奪われてしまうこともありますが、その辺りも日常をシンプルにできます。
活動量を見る。が意外と便利
「アクティビティ」という機能があり、カロリー、運動量、立っていた時間が鮮やかなサークルで視認できます。
この活動のログは意外とバカにできません。健康もお金の流れも仕事も時間の使い方も、定則してみてわかることは価値があります。
この記録が日々、毎月iPhoneに蓄えられていくので、これを俯瞰すると「ああこの月は結構健康的だったんだな」とか「この週は忙しかったもんな、よしもうちょっと運動してみよう」などの意識を持てますし、これがもっと長い期間となると健康管理の面でのメリットも分かります。
忙しくなってくると運動がおろそかになってきたりするものですが、これを意識できるようになるだけでも違います。
そしてエクササイズができた時の達成感がより感じられるのも、記録のメリット。
忙しい人ほど、あるといい機能だと思います。
iPhoneを探す。が意外と便利
これも目立った機能ではないのですが、私はよくiPhoneをどこに置いたか分からなくなるんですよね。
車に忘れてきていたり、子供たちが積み上げた本の下敷きになっていたり、ジャケットの中だったり。
そんな時にApple Watchからタップするとソナーのような「ポォーン」というサウンドがiPhoneから聞こえてきてひと安堵。
夜や暗い場所だともっと便利だと感じます。
これもマイナーな機能なのですが、日常のちょっとした時に便利です。
日常って、めちゃくちゃ便利より、ちょっと便利くらいが丁度いい
iPhoneもその存在は「ミニ・コンピュータ」と言えばその通りですが、「Phone」とネーミングすることで世界の中での存在位置が定義されました。
Apple Watchも、これまでの世界で言うところの本当に「Watch」、腕時計のような存在だと分かります。
腕時計もなくてもいいものですが、日常でふと日時を知りたいと思った時にふと腕を持ち上げるとそれがわかる、馴染んでくるとちょっと便利で、ある人にとっては欠かせない存在となります。
このちょっと便利に、を発展させたのがApple Watchだと感じます。
「ちょっとした」なのでキャパは限られているので、例えばメールやメッセージの通知機能も量によってはうざく感じますし、メッセージも長文は送れないので不便です。
この「ちょっと」の量が許せない人は、やめていた方がいいと思います。
スマホのような革命的なデバイスではありません。
片手では操作できない機能も多いのも事実ですし、通信速度もそこまで速くありません。
ですが、今日あげたようなちょっとした便利さを通して、日常を楽しませてシンプルにするには十分な存在、というのは言えると思います。